「これは尋常な被害ではない」
1995年1月17日(火)、午前5時46分52秒──。休み明けの朝、まだ眠りから覚めやらぬ日本に文字通り激震が走った。当時、関西事業部で技術員をしていた橋本は、震央からおよそ50km離れた東大阪の寮でも激しい揺れを感じたという。
「あまりの揺れに飛び起きました。発生直後はまだ被害状況がわからず、とりあえずその日は車で出社しましたが誰も来ていませんでした。大阪市内でも堤防などが液状化していたので、これはただごとではないなと思いましたね。」
地震発生の瞬間、何が起こったのか。東京事業部の技術二課で課長代理を務め、後に災害調査チームの一員として現地入りした斎藤は、まさにその瞬間を目撃したという電力系会社の巡視員に出会った。彼いわく、六甲山で巡視中、「淡路島のほうからゴー…という地鳴りがして神戸の方に近づき、その後、ドンという衝撃の後に神戸市街の大きなビルがバタバタと倒れていった」という。