東北地方太平洋沖地震津波の関連情報


東日本大震災に被災された皆様に心からお見舞い申し上げます 3/30

 3月11日に発生した「東北関東大震災・大津波」により、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
 弊社東北支店(仙台市若林区)は建物等への大きな被害は免れ、3月15日より業務を再開いたしております。
 また弊社は、地震発生直後より災害対策本部を設置しならびに支援体制を整え、被害の実態の把握と社会資本施設の復興に向けた取組に微力ではありますが、未来を拓く建設総合コンサルタントとしての使命感を持って取り組んでまいります。

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あれから1ヶ月-東北支店の被災とその後 4/11

 それは金曜日の午後、もうすぐ3時のティータイムという時に起こった。グラグラグラ支店が揺れ始め、結構大きい!ガタガタガタ大揺れが来た。机上の液晶モニターが次々と倒れ、揺れが人の移動を拒んだ。少し揺れが収まり、終息を期待したとき、更に大きく揺れた。ガタガタガッシャン机が動き、パソコン落下、停電、棚が倒れ、書類が床に散乱した。「次は支店の倒壊」と覚悟したとき、4分間余りの地震が止んだ。
 あれから1ヶ月、余震は続き、4月7日の大余震で再び蛍光灯が落下し、書類が散乱した。本震直後でも水道は使用でき、プロパンガスも問題なかった。電気は3日後には復旧し同時に通信関係も使えるようになった。本震余震で、支店は損傷を受け微妙に傾いているように思える。そんな中散乱した支店内を2度整理して、業務を行っている。現在、近隣のビルへの引越しを準備している。(東北支店 松下)


写真1.事務所内部の書棚からの散乱状況

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写真2.1階資材置き場のコア箱(ボーリング採取試料の保管ケース)の崩れ

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写真3.玄関横の柱基礎部の被害状況

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東北支店の一部機能を移転しました 5/16新着アイコン(画像)

近隣ビルへ支店の一部機能を移転させました。
(お立ち寄りの際は、大和町3-2-5 日清ビル2階へ)


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災害ボランティア活動(4/30〜5/6)の報告 5/23

 東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地域に5月のゴールデンウィークを利用して、ボランティア活動を実施しました。災害ボランティアに参加できる社員を全国から募集し、多くの社員より参加希望を受けましたが、宿泊施設等の都合により、本社にて10名を選抜し、平成23年4月30日〜5月6日の6日間で延べ31人日の支援活動を行いました。
 災害ボランティアの活動は、弊社東北支店の所在地である仙台市若林区のボランティアセンターで受付し、被災された民家の土砂撤去作業や避難施設での支援物資仕分け作業を行ないました。
 被災された現地の状況を目のあたりにすると、復旧・復興までの道のりが、いかに厳しいものであるか実感いたしました。微力な活動ではありますが、今後も継続して支援活動をしていきたいと考えております。
 以下に、企業としての取組の一環ではありますが、参加者個人の活動内容と感想等をまとめています。さらに、災害ボランティアの活動終了後に、仙台市周辺の被災状況調査を実施しましたので、併せて報告します。

(中央開発総務部:飯野敬三)


参加者の活動内容と感想

1.山口弘志(防災モニタリング事業部)

 防災を生業とする者として、被災地を直に見ないわけにはと思い、応募しました。仙台市若林区における作業は、@個人宅の家屋内外の泥出し・清掃、A避難所等での荷物の仕分けに大別され、どちらもプロではないメンバーにはハードな作業でした。インフラが破壊された被災地において個人宅の復旧は人力だけが頼りですが、これを被災家族だけでやれるものではありません。やはり、ボランティアの力は必要です。被災者は、不自由な避難所を拠点に我々以上の作業を続けています。体力・精神的にも限界を超えていると思いますが、皆元気でした。私は東北や仙台に縁もゆかりもない博多っ子ですが、被災者からも、ボランティアに参加した仙台市民からも「わざわざ九州から?ありがとう。」と感謝されました。「同じ日本人やなかね。困った時はお互い様たい。」 互いに感謝し、感謝される人間関係を創ることが大切だと、改めて考えさせられたボランティアでした。

2.古田芳彦(プロジェクト本部)

 ボランティアの活動時間は、実作業3時間程度と短いが日頃使わない筋肉の疲労や気配り・心使い(被災者・ボランティア仲間)等慣れない環境での作業を考慮すると十分な時間と思います。我々としては、もう少し頑張ることが出来、物足り無さを感じますが、女性陣等にとってはこれ以上の継続は厳しいと考えます。
 ボランティアのリーダーを引受けることは、他の人より心身の負担が増えますが、コミュニケーション・気配り・チームのまとめ・被災者への配慮等経験上のプラス面が多々あり、積極的に手を挙げることと考えます。会社以外の人とチームを組む方が、会話も面白く充実しました。今回はチーム内の人たちが好い人ばかりで、被災者も加わり会話が弾みました。
 被災者は、何とか命からがらの状態で生き延びた方たちが多いのですが、亡くなった方たちの分も含めて頑張るのだと言う前向きな気持ちが伝わってきます。支援者が被災された人から逆に励まされたとの言葉をよく聞きますが、その通りでした。

3.畑英樹(ソリューション本部)

 ボランティアの1日目は、仙台東部道路東側の個人宅にて泥かき作業を行いました。8人グループで向かい、活動時間は4時間ほどで、畑に堆積した泥を撤去しました。泥は重く、防塵マスク着用のため息苦しく、思った以上の重労働でした。2日目は避難所となっている仙台市若林体育館へ20人グループで向かい、布団類の搬入・配布と物資の運搬を行いました。3時間ほどの活動時間で、被災者の迷惑にならないよう配慮しながらの作業となりました。
 私はわずか2日間の活動でしたが、視界いっぱいに広がる瓦礫の大地と、多大なストレスを抱えた人々の中でこのような活動をすることは精神的にも大変なことだと痛感しました。長期的な復興支援が必要ですので、今後も微力ながら携わっていけたらと思います。次回の企画にもぜひ参加したいと思います。

4.成瀬研治(関東支店社会開発事業部)

 ボランティアの内容は、作業メンバー20人で被災者の寝具の入れ替えを実施しました。トラックからの荷物卸、被災者別への配布など、土砂撤去よりも力作業ではないものの重労働ではあった。また、避難所内での移動が多いため、長靴ではなく動きやすいスニーカーの方が好ましかった。併せて、寝具以外の支援物資の振り分けなどの軽作業を実施しました。ゴールデンウィーク期間中ということもあり、参加者が激増していたと考えられますが、そのため、ボランティア参加者が受入側の需要量を超えており、待ち時間が長く感じられました。
 ボランティアの募集内容は、力仕事以外にも、被災者の名簿作成などの事務作業、介護支援など、活動内容は多岐に渡る。そのため、力作業に自信がなくても参加は可能と思われる。また、女性ならではの活動もあることから、女性社員にも積極的に参加していただきたい。ボランティアの参加機会を与えていただき、まことにありがとうございました。

5.河原弘明(中部支店技術部)

 ボランティアの1日目の活動内容は、各地から届けられた絵本などを被災地の幼稚園・小中学校に送付するための仕分け作業です。作業的に容易と思われるでしょうが、仕分後の本が詰まった段ボールを移動するのは、想像以上にきつい作業です。あやうく膝・腰を痛める寸前でした。2日目の活動は、屋内の畳上げ、泥出し、タンスなどの移動です。依頼主の女性から『地震や津波の状況、津波と一緒に流されている車などがすぐ目の前まで近づいてくる中、着の身着のまま逃げたこと、住民が避難するまで現地に留まっていた若い警察官2名が、お亡くなりになり、自分たちのために犠牲となってしまったことへの深い心の傷が消えないこと』などを聞きました。ボランティアは、被災者の話を聞くことで被災者の心のケアを行う役割も非常に重要と感じました。
 概観した限りでは、地震力に伴う大きな被害は確認できませんが、やはり津波に伴う被害が圧倒的であり、今後、全国的に海岸周辺地域では避難施設の設置や防災マニュアルなどの見直しが行われることと思われます。今後、二次・三次の継続的なボランティア活動企画には、また参加したいと思います。
 最後に、若い方にはぜひ土木技術者として、自然の猛威の恐ろしさと復旧・復興のために何をすべきかを肌で感じるためにも、被災地を見て欲しいと思います。“百聞は一見に如かず”です。

6.徳重洋高(九州支社技術部)

 ボランティア活動の内容は、主に民家敷地内に侵入した立木、瓦礫、泥の搬出(層厚5〜10cm)、潮で痛んだ家具や畳の搬出、使える家具の洗浄でした。
 テレビ報道で目にしていた光景に加えて、植物の腐敗臭、アンモニア臭が漂い、言葉にならない状況でした。ただ、今回ボランティアで訪れたお宅は、建物の被害は比較的軽微であり、今後も同じ場所で生活する準備を始めている状況でした。津波被害から約2ヶ月、一部の市民は生活の再建に向けて一歩一歩着実に歩み始めていることが体感できました。また私自身、その手助けができただけでも本当に有意義でした。

7.池田政人(九州支社技術部)

 5/3〜5/5に災害ボランティアの活動に参加しました。休日と、連日の報道ニュースのあおりで、親子・女性・大学生から年配の方まで非常に多くの人達が幅広く参加されており、災害に対して非常に関心が高まっている事が分かりました。
 災害箇所に向かうに従い、被災状況はひどくなり、漂流物と泥が広がる景色へと変化しました。 私が福岡西方沖地震の時に見た被災状況では、揺れにより建物が破損している状況でしたが、当地は田園と点在する家屋に、泥と漂流物が絡みつく、一見スラム街のような状況で、言葉にならないものでした。
 ボランティアの活動現場に到着し、予定された作業を淡々と進めていきました。しかし、視界に入ってくる周辺の状況が少しずつしか進行せず、撤去作業の意欲が削がれる感じでした。被災者の方々や子供達は非常に明るく,復興にむけて強い意志を全身で発しながら動いており,ボランティアに来ている人間が逆に励まされているような感じでした。
 これから、復興まで何年かかるか分からない長い道のりとなるかと思いますが、長いスパンでの支援が大事であるため、一過性のものでなく常に震災を気にしながら日々を過ごしていきたいと思います。また、今後このような機会があれば参加し微力ながらでも支援を続けて行きたいと思います。
 少しでも早い復興を願っております。

8.伊藤太久(技術センター)

 ボランティアの活動は2日間とも個人宅の泥かきや浸水した家財道具の撤去です。泥かきは、言葉では「泥かき」ですが、実際にはほとんど細粒砂で、庭や倉庫に数センチ堆積した砂を取り除く作業です。ただ純粋な砂ではなく、津波で一緒に運ばれてきた瓦礫なども混在していたので作業はそうたやすいものではありませんでした。同時に行った家財道具の撤去では、どちらの住宅も2mの高さまで浸水したため、結局ほとんどの家財道具を処分しなければならず、個人の持ち物を処分するという行為が、体力以上につらく感じました。
 ただ、ボランティアセンターの方に話を聞いたとところ、個人でボランティアを依頼される方は津波で浸水しても家が残った地域の住民で、より海に近く、家そのものが流された地域からはボランティア依頼も出ないそうです。作業した住宅のご主人も、『家が残っているだけましです』とおっしゃっていました。
 周辺の田畑は砂をかぶって一面茶色、その上に瓦礫が覆っていました。1ヶ月以上経ってもまだこんな状況なのか、というのが被災後の現地を訪れて感じた最初の印象でしたが、ボランティア活動を通じて砂や瓦礫が片付いていき、被災者の喜ぶ顔を見ると、復興に向け努力し続ける限り、たとえ時間がかかろうとも着実に前進できるのだと確信しました。
 これからも復興に向けて努力し続ける日本人の一人として、被災地を応援します。頑張ろう日本!

その他

ボランティア活動の状況は、被災者に配慮して、写真撮影禁止としております。

以上

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災害ボランティアレポート

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